大島みらい新聞No.13
はじめまして。
神奈川大学大学院修士1年の石井佑果です。
今回は、大島みらい新聞No.13の大島人で大島の子どもたちへの思いや、水上不二の研究についてお話をしてくださった菊田榮四郎さんのインタビューを掲載します。
—今までの大島みらい新聞がウェブページで見ることができるようになるので
すが、どうでしょうか。
それは良いことだと思います。やはり紙面だけだと大島の中だけになってしまうから、今の時代、外に出すことが必要だと思います。難しいかもしれないけど、ここでこんなことやっているんだってことを出していかないといけない。評価ではなく、こんな活動をしているんだなというのが分かれば良いと思います。
—新聞の記事を書いていただいたときのお気持ちと、今に至るまでに変わった
ことや感じたことがあれば教えてください。
今の気持ちは、このときの気持ちとそんなに大きく変わってないですが、最近になってやはり、もっともっと大島を日本全体にアピールできるんじゃないかという気持ちが出てきました。例えばみらい新聞のようなものを島外の様々な地域に出してもらって、大島には水上不二という人がいるんだというのも分かってもらえると嬉しいです。
去年、埼玉県の三郷市の小学校と新座市の小中学校にうちで作った水上不二の詩集を送りました。今、私がやっている研究会では、気仙沼市で水上不二の詩を読んで感想画を書いて、それをうちの研究会で毎年賞をつけています。だいたい300枚ずつ集まってくるのですが、それをもっと広めるために、例えば詩集をあげた三郷市や新座市から絵を集めて展覧会などもできるのではないかと思っています。しかし、あまり手広くやってしまうと、訳が分からなくなって大変になってしまいます。言うのは簡単だけど、実際運営していくのはそう簡単にはできないんです。そういうことをやってしまうと、中途半端になってしまいます。ただ、水上不二の詩を読んで、水上不二ってこういう詩を書くんだなというのを知ってもらいたいです。つまりもっと広げたいっていうのがその当時から比べたら出てきました。それが一番ですね。
—私たちもそのようなお手伝いができればとは思います。
気仙沼の復興市場というところがあるのですが、そこの方々が今度大島に帰ってくると聞いています。その方々が、その店の中に水上不二のいろんなものを展示したいと言っていて、アドバイスしてくださいということでこの間、行っていろんなことをお話ししてきました。例えば、そこに水上不二の本を置いておくとか、50曲以上ある水上不二の作詞した詩を曲ちょっと流しておくとか。そういうことでも良いのではないかということで、それもひとつの時代の流れというか、水上不二をもっと広めるためのひとつの方策のようなものになってるのかなと思います。
4月は大島中学校の開校記念日に行って、水上不二の生涯についての話をしました。7月に行ったときには、子供たちが水上不二の生涯を自分たちで演劇したいと言ってました。11月の大島中学校の文化祭で海は命の源というのを入れて劇を作りたいと。ミュージカルではないと思うけど、アドバイスをして是非その歌を入れてほしいです。子供達はいまシナリオを作っているみたいです。面白そうだなと思います。そういう面でもっともっとアピールしていきたいなと思います。