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大島みらい新聞No.24

こんにちは。神戸大学の山岡義大です。

今回は、2015年3月の復興トークサロンでメモリアルとなる四季の花公園のお話をして頂き、みらい新聞No.24にも掲載させていただいた「けせんぬまさいがいエフエム」の横田真美子さんにお話を伺いました。

―当時話して頂いたメモリアル公園について今はどのようにお考えですか。

こういうことを語ったが実現に至っていないのが現実です。街として震災のことを語り続けるときになにかメモリアルになることがあればいいなと考えて「もの」というよりは「心」を残そうと考えたのがトークサロンのときの公園の話です。震災を忘れないためにも、市民が一丸となり、新しい形の整備の仕方として住民一人一人が一生のうちに必ず何回か関わるような公園を作ったらどうかなと考えていました。そのことは一市民の意見として気仙沼市には提案をしていますが取り上げられてはいません。

―今はメモリアル公園についてどのような考えをお持ちですか。

トークサロンを行ったときに気仙沼市全体の想いがまだここまで行っていないというのを感じていました。思いや理想だけを述べさせてもらったのですが、後から振り返るとまだそういう段階ではなく、人が動ける時期ではなかったんだなぁと感じています。

流された写真をきれいにして持ち主に返そうという取り組みを気仙沼復興協会さんがやっていたのですが、その写真がなかなか持ち主の所に帰らなくて何万枚も残っています。地元紙に掲載したり、展覧会をして呼びかけてもいるのですがなかなか持ち主は現れないそうです。この事業も今年度で終わってしまうので、もっとたくさんの方に見に来ていただきたいのですが、来られない方も多くいらっしゃるそうです。

今やっと仮説から災害公営住宅に移って、やっと見に来られる方もおられるそうで、人の震災からの歩みというのはほんとに様々なんだなと感じます。やっと気持ちが自分を立て直すところから周りが見えるようになってきているひとも多いのかもしれないなと感じましたトークサロンの時にあのようなことを言っても余裕なかったよなと感じました。

―現在考えている取り組みややってみたいことなどはありますか。

気仙沼市の取り組みで、海の見えるところに慰霊のできる公園の計画があるそうです。そこにもし、そういう震災で亡くなった方たちのメモリアルパークができるのであれば、次はそこを誰もが訪れやすい場所として今度は何ができるのかなと考えています。小さな町だと、公園を作っても管理をしていくことが難しいという問題があります。それを例えば小学校が持ち回りで清掃活動を行うとか、老人クラブや婦人会など、各地区の持ち回りで行うなど、市の取り組みとしてでなく、市民の中から意見が上がって市に提言してやるという方向になれば一番良いと思います。教育委員会なども巻き込んで小学校の間に一度は必ず清掃活動に行くということがあれば子供たちに様々なものを伝える一つの場所になると思います。

私が住んでいた汐見町に県が管理する公園があったのですがそこは四季折々に花が咲くように作られていて、冬はさざんか、春は、夏はハマナスというようにお花畑のように咲いているわけではないのですが、四季を通して花が途切れないように設計していて、造園の工夫って素晴らしいなと思っていました。

そこで子供を遊ばせて育ててきたので、すごく公園の佇まいがいいなーと思っていてそん公園をを目指していました。

―気仙沼災害エフエムで伝えることが変わってきたとかはありますか。

災害エフエムでは3年前からいわゆる被災者情報に加えて皆さんにリラックスしてもらおうという番組も加えていますし、試みとして市民参加型みたいなものにも取り組んできました。気仙沼に住んでいる人だけでなく、支援で入ってくれている人たちの意見とかお話を取り上げたりしています。I,U,Jターン等こちらに来てくれる方は自分の考えをしっかりを持ってきてくれている方たちなのでポリシーがあり、話しやすく、題材になりやすいというのがあっていろんな方のお話を聞いています。反対に難しかったのは被災した方たちからのお話を伺う時ですね。いろんな思いの方がいらっしゃるので偏らないように気を付けてきました。こちらから気仙沼の情報を市外のみんなに伝えるという使命もありますし、もちろん気仙沼市の中のみんなに楽しんでもらったり情報を共有したりして聞いてもらいたいと思います。

―そのきっかけは

ここにきて1年くらいたったあたりの時に、まだまだ仮設の商店街で運営される方もいっぱいいらっしゃったのですが、その方たちがかなり前向きになっていたからというのはあると思います。各商店街で「がんばって」「まけねえぞ」とかスローガンを掲げて皆さん頑張られていたのでリラックスして聴ける番組を作りたいと思うようになりました。ただ災害エフエムとしては地震や津波、緊急の情報は洩れなく呼びかけるという姿勢は変わっていません。

私もいずれ街の老人クラブとか婦人部とかで地域のために活動していきたいと思っています。やっぱり地域から話をして上げていくことを夢見ています。清掃活動でも、継承していくことができるのであれば市民ぐるみでメモリアル公園を守れるようにすることが次の目標です。

(編集者:山岡義大 インタビュー:石井佑果、田中はつみ)


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